碓氷峠104年の鉄道の歴史

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群馬県と長野県の境にあり、古くから難所と知られていた碓氷峠・横川−軽井沢間に1885年、碓氷馬車鉄道が開通した。

 その後、東京−京都間のルートにあげられながら東海道経由に変更され挫折した「中仙道幹線」を活用した東京−長野−新潟間の主要ルートとして鉄道建設が進められ、1893年に高崎−直江津間が開通し直通で長野に行けるようになり、軽井沢には多くの外国人が訪れるようになった。

 横川駅の名物、
「峠の釜めし」が発売されたのは1958年である。

 横川−軽井沢間は直線距離約11キロだが標高差が553メートルもあり、急勾配で車両が自力で坂を登れないことからアプト式という歯車をつけた特別な機関車を連結し路盤に配置されたラックと噛み合わせて登るという当時としては最新の技術が採用された。

 だが車両やトンネルの設備等がSLの規格のため、SL時代は熱や煙に苦しめられ、のちの電化後も機械の故障や大型の機関車が通過できないなどの制約も多かったという。

 特殊な運転形態では輸送力が対応しきれなくなったアプト式に代え、規格をひろげた新線を1963年に開通。アプト式でなくても技術的に勾配を登れるようになり専用の機関車EF63型が投入され大幅にスピードアップされた。

 以後東京と信越のパイプラインとして機能したが、1998年の長野オリンピックのアクセスとなった
北陸(長野)新幹線の開通という予想もできなかった形で1997年9月30日、多くの人に惜しまれつつ104年の歴史に幕を閉じた。

 廃止まじかの間は鉄道ファンならずカップルや家族連れ・年配客などが別れを惜しみに碓氷峠を訪れる碓氷フィーバーが巻き起こったほどでどれだけ多くの方に親しまれていたのかを象徴するようだった。

 


  横川−軽井沢の間は専用補助機関車
EF63型(ロクサン)を連結して走った


廃止まじかには鉄道ファンならず
多くの人が別れを惜しみにきた
 
 
横川駅名物の峠の釜めし
発車時はおじぎをして見送った

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