伝統・おぎのや/玉屋

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発車時のおじぎ
横川名物、発車時のおじぎ。すがすがしい
1997.9.27 横川駅

 

 列車が横川にやってきた。広い構内に力強いかけ声が響き、乗客たちはその元へと集まる。売り子は慣れた手つきで釜めしを渡す。やがて発車の時になると「ありがとうございました」とおじぎをするのは、何度見ても実にすがすがしい光景だ。
 
  機関車連結の短い時間で展開する横川名物「峠の釜めし」の販売風景には伝統が凝縮されている。新幹線の開業によりその姿は見られなくなっても、彼らの人と人とのふれあいは記憶に残ることだろう。彼らがさげている、
「信越本線ありがとう 一生懸命頑張ります」が輝いて光っているように見えた。 

   
おぎのやと伝統の「峠の釜めし」

 

 峠を目の前にした横川駅の「峠の釜めし」は開業当時からあったものではなく、鉄道がここまで開業した1885年(明治18)に宇都宮に次いで全国で2番目の駅弁を発売している。

 大きな変化があったのは軽井沢までの鉄道開通で、信越方面にレールが結ばれるようになり、輸送量が増えたことと、急勾配を行き来するための専用の機関車を連結する停車時間が発生したことで、駅弁を売る側にとって都合のいいことになったため。その時故高見沢みねじ4代目社長が自らホームに赴き客の意見を聞き家庭的な味を凝縮したものとして1958年(昭和33)に「峠の釜めし」を1個120円で発売、その後フジテレビ系列の「釜めし夫婦」が火付け役になり以後、「日本一の駅弁」の不動の地位を確立するようになった。売り子さんの販売風景や発車時のおじぎは見ていてすがすがしくなってくるものだった。

 もともとマイカー世代を予測して1997年の鉄道廃止までに高速道路のサービスエリアや小海などに店舗を展開しており、廃止後は横川に店舗は残しているが売り子販売から新幹線の車内販売などへと変化を遂げた。

 ちなみに器は益子焼きで、具などすべて含めて1kgと重量感たっぷり。当時器の宣伝に来ていたことから即採用されたのだという。炊き込みご飯をベースにしいたけ・ごぼうなどの盛りだくさんの釜めしは食べてみて飽きがこない味で一気に食べられてしまう。これも伝統の味だからなのだろうか。

 

峠の釜めし

 

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